編集委員 森 浩志
昭和44年、アポロ11号が初の月面着陸を遂げた。私は7歳で、ちょうど夏の暑い盛りだったように記憶している。テレビではその模様が放送され、随時、アポロから送られてくる不鮮明な映像を食い入るように見ていた。
昭和も中頃のこの頃、私の住んでいた町は、東京23区でも端のほうで、多少の自然が残っていた。近所の民家も平屋建てが多く、結構広い庭があり、近隣の子どもたちは、垣根を潜り、ブロック塀をわたり歩いて遊びまわっていた。特に私が好きだった遊びは虫取りで、山椒の木につくアゲハ蝶の幼虫や、あじさいにつくカタツムリ、石の下に隠れているコオロギなどを捕まえてきては、家の中に持ち込み、祖母に悲鳴を上げさせていた。好奇心は虫に留まらず、動物、植物、岩石や鉱物、人体、気象や宇宙へと広がり、少しでも疑問があれば、「なぜ?」「どうして?」と大人たちに食い下がる迷惑な科学好きの子どもとなっていた。
ある日、学校で担任の先生に、「なぜ、磁石はくっつくのか」と執拗に質問をくりかえすと、「ほかの勉強をしなさい!」と叱責され、それ以降は自分で解答をさがすようになった。「なぜ、磁石はくっつくのか」、その本質的な「なぜ」に答えられる人は現在でもいないだろう。その代わりに、電磁気力が原子の単位でどうだ、電子のスピンがこうだ、光子を媒介してどうだ、などと説明はしてくれる。でも、なぜその仕組みで「くっつくのか」はだれも答えてくれない。
叔母にいたってはファインマン物理学全集を渡し、これを読めという。が、これが結構、私の疑問には答えてくれるものであった。数式は難しすぎてわからないことがほとんどであったが、書いてある内容は親切で、子どもの私にもわかりやすかった。そのうちに、科学では「わからない」「判断できない」「完全ではない」ことがたくさんあることを知るようになった。
後に私はコンピューターのシステムエンジニアになったが、同じ社内では理系の同僚が多かったためか、このことはよく理解してくれていた。だが、顧客にはこの考えは通用しなかった。なぜなら、彼らは数学や理科系の問題は必ず一つの解答があり、そうであるとすり込み教育されてきていて、無意識のうちに確たる解答を求めてくるからである。
しかし、これが大きな社会的問題を含むとき、人はどうするべきか。たとえば日本に内在する大型地震の脅威について、どの程度の予測ができるだろうか。科学的な判断が難しく過去の詳細なデータも少ない分野で、多くの人命にかかわる予測をしなければならない。机上で作り出された予測は、実際の社会に当てはめたとき、予測していなかった変数が飛び込んでくるものである。だからといって、「わからない」「判断できない」では済まされない。また、安易な予測も示すことはできない。人はきっちりした数字を求めてくるが、当然「わからない」「判断できない」ことからきっちりした数字は出てこない。
ではどうするのか。地を這いつくばるようにして、長い年月をかけてデータを集め、実験し、既存の定理を修正して、一つひとつ階段を上るしかない。 その間は、「確実なものはないこと」を人々は心に留めておくしかないのである。
アポロが月面着陸を果たした当時、大人になる頃には火星へ行けるかな…と心に描いていた。大人になって早33年である。現代社会において、科学的進歩の速度が遅すぎると思うのは私だけなのだろうか。