編集委員 植西 信博
私は今、TOHOヒューマンセンターという共済会で働いています。昭和61年4 月1 日に、東邦生命保険で働く人たちの総合福祉センター(福利厚生関係組織)としてできた団体です。センターは、人事部・総務部・健康保険組合・労働組合など、人にまつわる業務をすべて1か所にまとめ、利便性を追求した組織です。母体企業(東邦生命)からすべてのヒューマンビジネスを業務委託として請け負って管理・運営していることが、企業福祉の新しい試みとして注目されていました。
当時、毎日のようにお越しになる企業の人事関係の方々に、センターの理念や仕組みを説明していましたが、その数は百数十社にもなり、数多くの方々の名刺を頂戴し、今も大切に保存しています。もちろん、現在も多くの方と親しくさせていただいており、私の活動の原点になっています。
ヒューマンセンターの社会貢献として取り組んだ事業に、全米・全英にある定年退職者の協会がなぜ日本にないのか、日本にもあればよいのではと、"日本型"定年退職者協会の設立を目指し、2日間のシンポジウムを企画・実施して、多くの方の賛同を得ました。平成2年には、日本退職者福祉協議会として発足し、その2年後には、社団法人日本セカンドライフ協会として厚生省の認可を受けるなど、10年にわたり、人材と財政などを全面支援してきました。この協会は、入社から退職後までの生涯総合福祉の充実を目指すセンターにとって、人のつながりの重要性を痛感し、退職後のセカンドライフの充実を図るための組織を作るべく実践した結果であります。
また、健康保険組合の保健事業で立ち上げたボランティアの介護ネットワークは、老人の身の回りのお世話をする高齢者介助から実施すべく協力を呼びかけたところ、全国63拠点で1,000名を超える被保険者が参加・登録して発足しました。1年間で1,500名もの被保険者が、転居を伴う人事異動をするため、老親と別居することになる被保険者に代わって、他の被保険者が介助する仕組みです。介助を必要とされるクライアントの登録も進み、平成7年春からスタートしました。将来的には、介助にとどまらず、介護能力を身につけてネットワークを強化するとともに、他企業の健康保険組合にも参加を呼びかけ、相互乗り入れでネットワークを拡大したいと考えていました。
しかし、残念ながら、平成12年3月1日に東邦生命が解散しましたので、健康保険組合や社会保険関連業務、社宅制服貸与業務など、すべての委託業務がなくなって共済会組織だけとなり、日本で唯一の母体企業のない共済会として現在に至っています。共済会の加入資格は、ヒューマンセンターの会員経験者が再入会する場合のみで、誰でも加入できるわけではありません。少なくなる一方ですが、16年間経った今も、全国2,267名と一緒に歩み続けており、慶弔関係の共済給付事業だけでなく、団体生命共済やグループ傷害保険などの会員サービスをはじめ各種相談事業を行っています。
特に、全国各地で開催されるさまざまな会合では、ヒューマンセンターの会員だけではなく、昔一緒に働いた仲間が集い、旧交を温めています。会社がなくなり、連絡をとるところがない人たちにとって、センターは心の拠り所として信頼され、支持されています。OB会として、毎月開催して181回も続いている東邦会ゴルフコンペや麻雀同好会、懇親食事会、懇親旅行会、同期会など、人と人とのつながりが、個々人の人生にとっていかに大切であるかを物語っています。
今後とも、人の絆を大切にそのお手伝いをさせていただくとともに、さらなる人の輪を強く大きくしていきたいと考えています。