社会保険新報 平成26年1月号

社会保険新報2014年1月号表紙

2014年1月号

宝来午

新春を迎え、皆様にはご健勝のこととお慶び申し上げます。
社会保険事務担当者の皆様におかれましては、日頃より『社会保険新報』にて、企業の事業主の方々をはじめ、被保険者ならびにそのご家族の方々へのご指導ご相談に力を注がれ、社会保険事業の円滑な運営に大きく寄与されておられることと思います。
これからも、真屋尚生編集委員長のもと編集委員が一丸となって、誌面づくりに取り組んでまいります。
今後も『社会保険新報』が社会保険事務担当者の皆様、一般の読者の方々のよき参考資料、相談書として活用していただけることを願っております。



コラム東西南北 社会保険実務雑感

編集委員 桃原 忠治

「でんぎり山の、うさぎ狩りに、明治天皇がおいでになるそうな」。村中はそんな話でもちきりになりました。

昔の駒沢地方は、見渡すかぎりの林が続いていました。今の駒沢オリンピック公園のある辺り一帯を、「でんぎり山」と呼んでいました。この辺りには、ひばり、うずら、きじ、うさぎなどが多かったので、昔から将軍たちもよく狩りに来ました。

明治の終わりのことです。井上準之助さんが、でんぎり山に来て、「この辺りの土地を譲ってください」と、村の地主さんにお願いしました。「あんたはもの好きな人ですね。ここの土地は少し高台になっているので、水の便が悪く、田も畑もできません。それでよかったら、どうぞ」。井上さんは、東京ゴルフ倶楽部の人たちに、でんぎり山のことを話しました。「では、その土地に決めましょう」ということになりました。

雑木林の木を切り、平らにする工事が始まりました。村人たちは、「何ができるのだろう」とここを通りかかると足を止めて見ていました。今度は美しい芝が植えられました。そのうち、この辺りでは見たこともない立派な自動車がよく来るようになりました。自動車からは、外国人もよく降りました。駒沢ゴルフ場ができあがったのです。東京で初めてのゴルフ場です。明治38年のことでした。

昔、「でんぎり山」と呼んでいたのは、今の駒沢オリンピック公園のことです。明治初年の駒沢は、代々木上原から駒場野まで続いた広い原野で、あちこちに雑木林があり、田や畑はほとんどありませんでした。きじやうさぎが多いので、将軍の遊猟の場でした。明治14年には明治天皇がうさぎ狩りをご覧になりにみえたこともありました。明治20年以後は軍関係の施設がつくられましたが、それはこの広い原野からすればごく一部にしかすぎませんでした。

そのころ、神戸や横浜には、ゴルフ倶楽部がありましたが、会員のほとんどは外国人で、日本人は交際上2〜3人加入しているだけでした。そして、財界の巨頭であった井上準之助や田中銀之助等が中心となって、駒沢ゴルフ場の設立準備が始められました。さて、土地の問題ですが、その当時はのんびりしていました。駒沢辺りの土地はまったく買い手がつかず、地主が土地をもてあましている状態でした。ですから、話は簡単にまとまり、1 坪(3.3m2)5厘(1厘は1円の1000分の1)で約10万m2の土地を買いました。

明治38年に東京で初めてのゴルフ場が完成しました。ちなみに入会金は1,000円。キャディは駒沢小学校の児童たちで、キャディ料は1ラウンド15銭。そのほかに、50銭のチップをもらう子どももいました。学校へ行かずにキャディばかりする児童も出てきて、社会問題になったこともあるそうです。

「でんぎり山」こと駒沢公園に東京で初めてのゴルフ場ができた明治38年が、今日の日本ゴルフ界の原点と思われます。


財団法人 東京社会保険協会:東京都新宿区新宿 7-26-9 TEL 03-3204-8877(大代表)

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