社会保険新報 平成27年4月号

社会保険新報2015年4月号表紙

2015年4月号

亀戸天神から望む
東京スカイツリー
(江東区亀戸)

【コラム東西南北】東海道新幹線50周年

0系からリニアへ進化し続けて半世紀
日本の大動脈を駆け抜ける夢の超特急

編集委員 桃原 忠治

イラスト:東西南北

昭和39年10月1日、夢の超特急と呼ばれる東海道新幹線が開通しました。その9日後には、東京オリンピックの開会式を控え、日本中が沸き立つ中での華々しい登場でした。それから半世紀にわたり、人々を運び続けた新幹線は、日本人の暮らしになくてはならない交通手段のひとつとなってきました。

東京と西日本を高速鉄道で結ぶ新幹線の構想は、戦前に始まりました。当時は「弾丸列車計画」と呼ばれ、昭和15年には国会で予算が通り、ルートの調査が開始されました。しかし、その後は戦局の悪化により、計画は中断されることになり、「弾丸列車計画」が再浮上してきたのは、昭和30年代に入ってからとなります。

そして、昭和34年4月20日、新丹那トンネルの熱海口で、東海道新幹線の起工式が行われ、それからわずか5年後には、東京―新大阪間が開通しました。

当時は、東海道本線の特急「こだま」で、東京―大阪間は6時間50分もかかっていました。それを4時間まで一気に短縮したため、文字どおり、夢の超特急の登場となりました。翌年には、同区間を3時間10分に短縮、従来の特急に比べて2倍以上の短縮を果たすこととなります。その後、新幹線網は、山陽、東北、上越、九州、北陸と広がり、新型車両が続々と投入されていきます。現在は「のぞみ」が東京―新大阪間を最短2時間25分で結び、首都圏から関西方面への日帰り旅行も随分と楽になりました。

新幹線は、鉄道技術の飛躍的な進歩により、安全かつ非常に乗り心地のよい乗り物に進化を遂げました。スピードアップしながら安全性を確保し、さらに振動や揺れを抑え、乗り心地を向上させてきました。そんな相反する課題に取り組み、克服してきたのが、新幹線の歴史です。最新車両のN700系Aでは、安全性のためにブレーキ性能を改良、客室の床や壁の構造も改善し、静粛性を向上させるなど、快適性も格段とよくなりました。

新幹線の次なる夢は、リニアへと引き継がれていくこととなります。超電導リニアの技術により、車体を浮上させ、時速500kmという航空機並みの速度で疾走する近未来の鉄道への着工は、今秋を予定しているそうです。平成39年(2027年)に東京―名古屋間で開業すれば、同区間の所要時間はわずか40分となるそうです。この高速鉄道の名称は、新幹線よりさらに新しい幹線なので新幹線とは呼ばず、安全で快適な乗り物にふさわしい名称が付けられることでしょう。

それでも新しい路線ができ、新しい技術開発が続く限り、新幹線の名は続いていくでしょう。日本の新幹線は、世界に誇れる最高の乗り物です。


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