『社会保険新報』編集委員長 真屋尚生(商学博士)
先ごろ、阪急東宝グループに属する宝塚(少女)歌劇団の創始者・小林一三翁について調べたいことがあり、翁の著書『私の行き方』(PHP文庫版)に目を通しました。この本の最初の刊行は、ちょうど今から80年前の1935年ですから、時代を感じさせる記述が随所に見られます。でも、論旨明解でとても面白かった。断章を紹介します。
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〈熱狂的宝塚ファン必読〉
私共の少女歌劇というようなものが永久に存続しようとは考えておりませぬ。あれは不自然の産物で、現在ではああいう不自然の産物が存在しておりますけれども、あれは当然いつかは男が入って、男性と女性と共演するオペレッタになるのが本当であります。宝塚少女歌劇はある点において「仁丹芸術」であり、「味の素芸術」であり、「キャラメル芸術」である事をもって満足しているのである。
〈サムライブルー/侍ジャパン応援団諸君必読〉
甲州は武田が滅びたあと、徳川家康がやって来て、城を築きかけて成らず、……幕府の直轄という事になって、勤番支配に移ったもんだから、そこでそら、武士階級というものがこの国だけは存在しなかったんだ。僕たちは士族なぞちっともえらいとは思わなかったよ。思わないどころか、むしろ大いに軽べつしていたさ。
〈ニート・フリーター諸君と保護者の方々必読〉
燃ゆるがごとき希望を持たねばならぬ。誇大妄想狂の描くような空想であるとしても、何らの希望も野心もないよりは、はるかに良い。
〈アルバイト中毒の学生諸君と保護者の方々必読〉
世の中が、せち辛くなった所為でもあろうが、学校にいる間からいろいろ奔走するようでは、学校のことがお留守になって、本当の人間などできるものじゃない。今の世の中では、そうしなければならぬようになっているから、仕方がないけれども、むしろ3月31日まで学校にいる間は学校の事を一生懸命に朗らかに勉強しておって、さて明日どこへ行ったら雇ってくれるだろうと考えるような人があったら、その人をすぐ雇ってみたい。そういう人は与えられた当面の仕事に全力を挙げてまじめにやる人である。また、そういう人は、いったん社員になっても必ず他に勝つ人だ。学生が在学中に休暇などを利用して社会の実際事業について実習をするというようなものがたくさんある。しかしこれは考えものである。多少の経験を持っているために利益するところよりも、それが害になる事の方が多い。
〈適応障害を起こしかけている若手社員諸君必読〉
自分の希望している事は達せられないのが原則だと思わなければならぬ。世の中へ出るのは、つまり自分の思うようにならないという事を経験するためである。では、愉快に働くにはどうしたら良いか。その日その日の仕事をその日の中に片付ける事、手近のものを始末する事。身の周りのものを完全に処置してゆく事は、手近なものに対する希望を持つ事であり、これはやがて仕事の分量が日ごと日ごとに愉快に増えてゆく事なのだ。青年よ、希望に生きよ! 血の燃ゆる若い者の理想には力と熱がある。
〈服飾・美容関連業界で働く皆さん必読〉
いかなる種類のものでもどこかに「美しさ」があるものだが、ご婦人自身が「私には『美』があるでしょう、あなたは私の『美』がわかりませんか」というふうに気どる時、その婦人の持つ醜さのみがありありと浮かび出るもので、男は反感を持つものである。
〈国防亡国? 内閣総理大臣閣下と陣笠諸先生必読〉
一家のうちであっても、親子の間柄ですら、親の思う通りに子どもはならないではないか。兄弟姉妹の中においてすら、お互いに思うようにならないではないか。いわんや社会は他人の集まりである。他人の中に入って自分の思う通りになると期待していたら、そこには当然失望があるのみである。何事によらず無理は禁物である。今の政党を国民は信用していない。国民が政治に冷淡であって、平素門外漢であり、風馬牛であるために、政治家なる者が勝手に国民の声だとか国民の力だとか、自分達に都合の良い事を叫ぶのである。これは、まじめな人が政治家にならない結果である。
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このように、80年前の書物に、現代に十分通じる内容がふんだんにちりばめられています。明治人の気骨と先見性を垣間見る思いがしませんかーこの間、日本人は進化しなかった! ただし、鵜呑みは厳禁!『私の行き方』冒頭の章は「使う時・使われる時 教訓談中毒患者」となっており、「何人も持つ自分自身の長所を顧みて、それに磨きをかける人の多からん事を切に希望する」と結ばれています。
毎月、顔を合わせる本誌編集委員の小林司さん(本誌2015年2月号「東西南北」参照)はじめ、私には小林姓の友人知己が大勢いますが、1873年生まれの小林一三翁にお目にかかったことは一度もありません。あえて翁との因縁をこじつけるとー翁は大学の先輩である:1958年4月1日の宝塚大劇場での悲惨な出来事を、私は客席にいて目撃した(空前絶後の惨事は奈落で起こったので、惨状は目にしていない):私より野球が下手だったが、野球狂の生涯を貫いた幼馴染みが、若き日、阪急ブレーブスの投手だった。
漱石先生がおっしゃるように、とかくに住みにくい今の世ですが、宝塚にならい、「朗らかに、清く、正しく、美しく」生き抜こう!