社会保険新報 平成29年1月号

社会保険新報2017年1月号表紙

2017年1月号

高松張子(香川県)

【コラム東西南北】新米プログラマーと時間

編集委員 森 浩志

イラスト:東西南北

新しい年になった。昨年と何か違うかというと、そうでもない。ただ日々1日1日を、寝て、食って、働いて、ひたすら生き抜くばかりである。しかし、これが幸せと銘じて生活している。「今年はああしよう、こうしよう」などとは、とんと思わない。思えば、大晦日に後悔する。時の流れは自然である。そのうちで、思い立ったが吉日である。また、必要に迫られても吉日である。そのときは奮起しなければならない。ある先生が、テレビで「いつやるの? 今でしょ」と言っていたが、まさにそのとおりである。時の自然な流れを年月日で区切って安心するのは、人間の悪癖である。「何日までにやろう」とか、「何日余裕がある」などと思うのは、時間の無駄な浪費につながる。

「時間がない、時間がない」と愚痴をこぼすのは、人の性である。気持ちはわからないでもない。「時間は自分でつくるもの」などと言われても、どこからか、ホイホイ湧いて出るものでもない。時間に追われ、窮屈な人生で、窮屈な時間を過ごすばかりである。

一方、時間に追われず、ボーっとしている人がいる。以前勤めていたソフトウェア会社にいたTさんで、今でも尊敬する先輩である。彼はまるで、人生の時間の中をぷかぷか浮いているような人である。いや、そう見える人である。いつも影が薄く目立たない。声が小さいし、口数も少ない。あまり動かないので、ときどきそこにいるのを忘れる。入社したばかりの私は、彼と向かい合わせの席になった。彼はいつもこちらを凝視していた。私は胸の内で、「変な人」だと思っていた。

あるとき、私は仕事が一段落したので、なにげなく彼を見ると、目が合った、彼はじっと私を見ていたが、突然ニッコリと笑みを浮かべ、私のほうにやってくる。そして蚊の鳴くような声で、「忙しそうだね」と声をかけられた。「Tさんは暇そうですね」と笑いながら言うと、「仕事、終わっちゃったから」と小さな声で言う。「でも、さっき新しい仕事を頼まれていたじゃないですか?」と言うと、またニッコリとしながら、「もう、終わった」と言う。これを聞いて「おや?」と思った。私は、彼が上司から頼まれた仕事の内容を聞いていたが、その内容は、少なくとも1週間はかかる仕事であった。「もう、できたんですか?」と驚いて尋ねると、「だって、外部仕様書(システム設計でシステムの概要が綴られた書類)を読めば、何が必要か、だいたいわかるでしょう?」と言う。「外部仕様書を渡されたとき、必要となりそうなものは、予測して、すべてつくってあったから、あとは組み合わせるだけで完成だよ」と、シタリ顔である。「せっかく、外部仕様書を渡されたのに何もしないで時間を無駄にするのは、もったいないでしょ」と、今度は威張っている。

新人だった私は「なるほど」と思った。たしかに、私、いや、他の社員も、外部仕様書を渡されても一読するだけで、詳細設計書がくるまで待って、そこからプログラミングを始めていた。

そこで、私は、彼にどうすればそれができるのか、レクチャーを求めた。彼はこう言う。「あらかじめ、このシステムにはどのような条件で、どんな手続きが必要か、データベース設計はどうなるか、ありとあらゆることを考え抜いて、頭の中できちんと整理し、必要となるシステムの部品を細切れにし、パターン化して蓄えておくこと。もちろん、外部仕様書を書く人の癖や、思考パターンまで頭に入れておくこと。他のシステムで使用されているプログラムも利用すること。使えるものは何でも利用し、次にどんな外部仕様書がくるかを、1つも2つも先を見越して準備をしておくこと。外部仕様書を渡されたら、これらに瞬時にとりかかること」。

この話を聞いてから、私には時間がなくなった。1週間ほどかけて、社内のあらゆる外部仕様書、プログラム等を片っ端から読んでいった。そして、私がもらっていた外部仕様書から完成するであろうシステムを想像してみた。すると、抱えている詳細設計書のパターンのプログラムが頭に浮かび、それをコピーして組み合わせ、少し修正しただけで、終わってしまった。1か月もすると、空き時間は膨大な量になった。指示された仕事は、すぐに片づいてしまうからである。その時間を次の準備に回せるようになり、より多くの仕事を正確にこなせるようになった。やってみると、それがいかに効率のよいことかがわかった。

彼は、ただ、ボーっとしているわけではなかった。表に出さない時間の蓄積があるのである。いつも仕事の先読みをして、考えながら準備に時間を割いている。だから、成果物に組み上げる手段を豊富にもっていて、その結果、仕事が速く、正確である。しかし、次の仕事を考えているときは、数時間、時には1日中考えている。だから、はた目には、ボーっと一点を凝視しているように見えるのである。

彼は時間を贅沢に使う人である。「今」を大切にする人で、「時間がない」とは嘆かない。彼にとっては、「今」の時間がたくさんある。だから、「何日までにやろう」とか、「何日余裕がある」などとは思わない。上司が期限を提示しても、その日数は考えず、とことん「今」に集中するのである。

私は以後、彼を師として仰ぎ、T先輩からさまざまなことを学び、同じように仕事に向き合うようになった。おかげさまで、入社3年目には若手のエースなどと呼ばれ、重要な仕事をどんどん任されるようになり、20代半ばでSEとしてプロジェクトチームを率いるようになった。しかし、それはT先輩の教えがあったからこそである。

その後転職し、人事労務で20余年、仕事は違えど、「今」を大切にし、次の仕事を予測しながら仕事に臨んでいる。今にして思えば、T先輩は、当たり前のことを言っていただけである。だが、それを新米プログラマーだった私に教えてくれたことは、私にとって大きな飛躍への一歩だった。だから、今でもT先輩への感謝の気持ちを忘れていない。

今年も、川崎でコンサルタントをしているT先輩から年賀状が届いた。写真付き年賀状には59歳のT先輩と奥さん、仕事を教えてもらった頃のT先輩と同じ顔でこちらを凝視している26歳になる息子さんも写っていた。


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